「ふつう」と「多様性」の存在に「同調圧力」は悪なのか?を共存可能か考えてみた

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日本は同調圧力の強い国だとニュースやネットで話題になっていました。

私は小学生の時に「ふつう」になりたいと願いました。その時に頭の中にあったのは集団の中で悪目立ちしない存在でした。集団に属すると変わり者として扱われていました。思い返すと同調行動が出来なかったことが原因でした。理由に納得しないと相手の望む行動は取ることはなく、当時何を考えていたかは不明ですが「ここではこういう感じなんだ!」とは空気を読むことは出来ませんでした。

今の小学生が意識する「ふつう」はどの様なものか分かりませんが子ども達を取り巻く様々な環境が良くなってほしいと願っています。

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それぞれの言葉の意味

ふつう【普通】いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。

たようせい【多様性】幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

どうちょうあつりょく【同調圧力】少数意見を持つ人がいる場合に、多数意見に合わせるよう暗黙のうちに強制すること。

上記の3つの辞書での字面を読むとすべてを一緒に行うなんて無理だと思います。しかし、3つの意味合いを良い方に定義するとより暮らしやすい世界になるのではないでしょうか。

優しい世界とは

「ふつう」の暮らし

日本国憲法(昭和二十一年憲法)第25条
第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上
及び増進に努めなければならない。

憲法に定められています。確かに身綺麗な人が多くパッと見て貧困を意識する光景を見ることはありません。貧困で生きるのに精いっぱいで学習機会などが無い=健康で文化的じゃない状態は子どもが集団の中に入らないと自分の環境が異質だとは気付けません。気付いたとして親に言えないですよね。

健康で文化的な最低限度の生活が子ども達に与えられる世界が「ふつう」の暮らし。

認知され受け止められる多様性

その人が生まれてから体験してきた「生き方」を尊重できる世界は理想ですが「みんなちがってみんないい」からみんな仲良く暮らしていこうは現実には厳しいと思います。

理解出来ない存在を排除しないこと、理解出来ないという否定する気持ちの存在を排除しないこと。「そういう考え方がある」「そういう生き方がある」とお互い存在を認めて距離感を考える。コミュニケーションが取れるなら反発する部分だけでなく、共感できる部分も模索する。

小学生の娘には全く同じ人間は存在しないから意見が異なるのは当然で対立する場合もある。全員と仲良くする必要はない。ただグループやクラスで何か発表や活動をするときは力を合わせることを学ぶのが学校活動です。小学校だけじゃなく世界全体でも地球のために出来ることをしようと風習が異なる国が協力しているんだよ。と話しています。

自分だけの正義に固執しないでお互い理解出来ないことでも攻撃せず存在を認めることが多様性を認めて受け入れる社会だと思います。

窓際のトットちゃんに出てくるトモエ学園は本当に個性豊かな子ども達が登場していました。

うまく回る同調圧力はどんなもの

字面だけの同調圧力はふつうから異物をあぶり出し多様性を潰す存在です。意見を述べるのは表現の自由として保障されています。様々な意見を知りたい人のためにも自由に発言した方が良いと思います。

同調圧力がうまく回るとすれば模範的な振る舞いが出来る人々が同時に相手の意見に耳を傾けることが出来る存在な場合です。その模範が「いじめを許さない」「法律を守る」「無意味なルールに縛られず環境を良くする」方面なら良いのでしょうか?文字に強制すると入っているのでどうしてもうまく回る状態が想像しずらいです。ストレスを溜めないように「意見を述べることが出来る」のが理想です。

キノの旅の「人の痛みがわかる国」「多数決の国」の話が浮かんでしまってどちらも良い結果になっていませんでした。

どんなに考えてみても「強制=攻撃」された先に自由が見いだせないのでうまく回らないと感じます。同調圧力は「個の存在からの意見」をないがしろにする閉鎖的な世界でしか通用しません。

過ごしやすい居場所を見つけよう

圧力のない同調して一体感を得られる過ごしやすい場所。お互いを大切に出来る人がいる場所やホッとする距離感が保たれる存在が認められる場所が理想です。

極論を言うなら空気を読む必要はないと思います。人の意見は聴きますが自分の判断優先です。心の距離を保つのが一番大切です。言動の責任は自分自身で負うものなので好きに行動した方がふつうの精神には健康的だと考えてます。

最後に自分の意見優先と書きましたが言動を注意をしてくれる人は貴重です。社会人になったら特に赤の他人に注意したりしません。相手の意見にも耳を傾けましょう。言論の自由は相手も同じように持っています。もし傍若無人な振る舞いをしている場合は内省することも必要です。

過ごしやすい素敵な居場所が見つかることを願っています。

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