あらすじ
『大久野島からのバトン』/今関信子(著)/ひろかわさえこ(イラスト)/新日本出版社/2016年6月25日
瀬戸内海に浮かぶ島・大久野島。野生のウサギが生息し、観光客でにぎわうこの島は、70年以上も昔、地図から消されたことがありました。戦争のため、国際法で禁止されていた毒ガス兵器を作っていたからです。部活で島を訪れた香織たちは、かつて自分たちと同じ年頃に、毒ガス作りに携わっていたという人物と出会います――。
大久野島に数度行ったことがあったため図書館のおすすめコーナーにあるこの本を借りました。
地図から消された毒ガスの島
1929年~1945年まで日本の化学兵器を作成していたため地図から消されていました。島の中には毒ガス資料館があり貴重な資料が保管されています。島自体を周ることことで朽ちている建物や設備が当時の様子を物語っています。
背筋が寒くなるような廃墟のような施設。ラピュタの中へ入ったときに巨神兵が墓地を歩き周っていましたが草が生い茂る場所に崩壊したものが点在する悲しいイメージが近いです。
実際に行ってみたうさぎ目当ての感想
2014年に初めて行ったときはフェリー乗船のために行列に並ぶなんてことはありませんでした。大久野島に上陸した時点で人懐っこいうさぎたちがエサをねだって寄って来ていました。何も持ってないことがわかるとさっと解散してくれます。エサを持っていない娘が数匹のうさぎに追い回されて転んで指噛まれて消毒しました。うさぎハンターっぷりに驚き桃の木山椒の木でした。
2016年に娘たっての希望で再び上陸した際は観光客が多く港~休暇村周辺のうさぎも満腹なようで動かずゆっくり見て回ることが出来ました。島の奥に行くほど野性的なうさぎ達ばかりでした。お目当ての「うさぎのはなくソフト」を食して大満足な娘と島を後にしました。ちなみにはなくそにあたるチョコはお土産店にありますので購入しておうちでバニラアイスにトッピングすると島の思い出が味わえます。
2019年三度目の上陸は義実家の両親も含めて大所帯でした。フェリーも今までにない行列で衝撃を受けました。昼過ぎについたため照り付けるような日差しとうさぎのお昼寝タイムだったので穴と木陰に隠れてうさぎはあまりいませんでした。休暇村で一息(うさぎのはなくソフト)入れて毒ガス資料館前まで一緒に歩き、私と子ども達は大久野島ビジターセンターで待っていました。帰宅後に義母が近所の〇〇さんところは終戦後に毒ガス島の閉鎖施設の片づけの仕事をしたらしく一部の人に避けられていた話をしみじみと語ってくれました。戦争って終わってからも悲しい出来事を生むんですね。
GW・夏場を想定して服装&持っていくと良い持ち物
夏でもジーンズ等の長ズボンに運動靴がおすすめです。帽子は必需品。暑いです。島を一周したりうさぎの側によるなら動きやすく下半身は肌が出てない方が良いです。
日焼け止め、タオル、ウエットティッシュ、絆創膏、消毒液、傷薬。娘はうさぎに噛まれましたがそれ以外にも傾斜で転んだり枝で怪我をする可能性も考えて薬関係は備えましょう。
お弁当を持ち込むならレジャーシートがあると便利です。テーブルとイスが空いていたら良いですが観光客増加で座れない可能性もあります。人間の食べ物は決して与えないでください。
休暇村大久野島の施設とうさぎのエサやり
キャンプ場、海水浴場、温泉と色々あるようです。三度共に日帰りだったため利用したことはありません。個人的には怖くて夜に島の中は歩けそうにないですが朝から昼過ぎにかけて海は小さいですが渦潮も見えてきれいでした。コロナが明けたら再び行ってみたいです。
抱き上げると骨折等の恐れもあり、またエサやりのキャベツ等は消化できにくいため有害らしいです。
絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」が大好きで幼い頃に毎日絵をかいていた私には元気に跳ねているうさぎをみるのはうれしいです。人的干渉があまりない状態で自然にいるうさぎを鑑賞できるようにふれあいもルールを守りたいですね。
うさぎばっかり言いましたが、戦争のことを考えるのは大切なことだと思います。二度と戦争が起こらないことを祈ります。
コメント